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「すべてがうまくいく」世界

スピリチュアル

以前から内なる神性が私に向かって出しているサインに、「すべてがうまくいく」というものがありました。
内なる神性はそれにゆだねるように言ったものの、それは私にとってなかなか理解しがたい概念でした。世の中成功も失敗もある。それなのにどうしてこの世が「すべてがうまくいく」世界なのだろうと。実は、私はある勘違いをしていました。

私は自身の人間的な尺度でそれをとらえようとしていましたが、「すべてがうまくいく」のは霊的な尺度(たとえば天やハイヤーセルフ、高次のスピリットの視点)においての話だったのです。
たとえば先ほど話に出てきたように、人間からすると成功と失敗があります。人間にとって成功するか失敗するかは重大な話です。いっぽう、霊的な尺度で見るとこの世には失敗がありません。なぜならすべての出来事が人間の霊的な成長のための学び、経験になるからです。
私たちは人間としての喜びから嬉しいこと・楽しいこと・幸せなことを追い求めます。ですが、天やハイヤーセルフ、高次のスピリットは、ときに厳愛をもって不幸せ(と私たちには思える)な出来事をわれわれに与えます。なぜなら、そのような出来事も私たち人間の霊的な成長を促すからです。それもまた私たち人間へのギフトなのです。極端に言えば、嬉しいこと・楽しいこと・幸せなことだけでなく、あらゆる艱難辛苦にも手を合わせて「ありがとう」と言える人間、それらに心から感謝できるような霊的な尺度(視点)をもつ人間にとって、この世はまさに「すべてがうまくいく」世界なのです……。そのような人は天やハイヤーセルフ、高次のスピリットの視点でこの世を眺めています。

こんな風に書いていると、もしかしたらストイック(?)な世界観だと思われるかもしれませんが、私たちは艱難辛苦だけを味わうのではないことをくれぐれも忘れないでください。人間のもとには嬉しいこと・楽しいこと・幸せなことも天からの贈り物としてやってきます。私たちはそれをぞんぶんに味わっていいのです。

それで、これを書いているお前(みつき)はあらゆる艱難辛苦に感謝できているのか?と言われれば……できていないです(爆)苦しい状況ではジタバタし、逃げようともがいたり心のなかで不満ややりきれなさをぶちまけたりして、感謝の心はすべてが終わったのちに現れます。けれども最近は置かれた状況に感謝するまでの時間がちょっとずつ早くなっているような……という気がしています。気のせいかも(^_^;)

天やハイヤーセルフ、高次のスピリットが私たちの霊的な成長をどれだけ望んでいるか、われわれには想像しがたいところがあります。彼らは楽しいこと、嬉しいこと、辛いこと、悲しいこと……すべてを私たちに与えます。それは彼らが私たち人間の霊的な成長を願ってやまない“証”でもあるのです。

私一人のために生きているのではなく、私一人で生きているのではなく

私自身のこと

私は元来、すごく疲れやすい体質の持ち主です。病気というほどではないのですが、人よりも疲れるスピードがあきらかに早い。単に体力がないのかなあと何年かウォーキングを続けてみたのですが、あまり変わらなくて。朝起きたらもう既に疲れがたまっていて、その日は何もできずに寝ていることもありました。
「私はもうずっとこうなんだろうな~」と諦めていました。でも最近、私自身についてのちょっとした気付きがあったのです。

「私一人のために生きていて、私一人で生きている」とごく自然に思っている節があったと。
これまでは実際に私は私一人のために生きていて、それが当たり前のものだと考えていました。自分の体なんだからそう考えるのも無理はない気がしますが、そうではなくて、いまは「人や天のため、めぐりめぐって自分のために」生きていきたいとおのずから思えている自分がいました。
そして「私一人で生きている」ことについても、間違いであったのです。この体は天やハイヤーセルフ、私を守ってくれるスピリットたち、ご先祖さまと「有形無形問わず、私を支援してくれている方」とともに歩んでいるとふと気付きました。
いままで自分自身の体が霊的な意味で完全でないような印象を抱いてきましたが、「人や天のために、めぐりめぐって自分のために、天や私を支援してくれるスピリットたちとともに歩む」という認識を持つことで、私の体はようやく霊的に(ほとんど)完全になったような気がしました。

私はオラクルカードを使う際にまず天やハイヤーセルフ、私を守ってくれるスピリットたちにお祈りをします。また、チャネリングでは私を愛し信頼してくれる存在(ハイヤーセルフ)にふれることができました。おそらくこのような経験を積み始めたために、先ほどの気付きが頭に浮かんできたのでしょう。

「人や天のために、めぐりめぐって自分のために、天や私を支援してくれるスピリットたちとともに歩む」という認識を持つことで、実際に私の体に変化は起こるのでしょうか。さっそくウォーキングに行ってみました。ウォーキング自体久しぶりで、しかも普段よりも長いコースを歩いてみたのですが、いつもより疲れない!ついでに充実感もある!ということで、プラシーボかもしれないのですが(笑)ちょっとした実感を覚えています。

愛すること・愛されることへのブロック

「私はチャネリングをやっていきたいな!」
とオラクルカードやハイヤーセルフにたずねてみたところ、
いずれも「その決断をするにはまだ早い」という答えが返ってきました。
“あなたはまだチャネリングについての満足な知識がない。そのような決断をするより先に、それ(チャネリング)をよく学ばなくてはならない。
何よりも、あなたはまず自分自身(ハイヤーセルフを含む)と対話し、それを理解する時期に差し掛かっている”
……ということを告げられました。

私は内心汗をかきました。
ここ最近、私自身の中にある巨大なブロックに向き合う必要を感じていたからです。
それは、
『愛すること』
『愛されること』
へのブロックです。
私だけではなく、いま同じ時を生きる人たちにとっても共通するブロックなのかもしれないな……と思います。それらを困難にするような時代に私たちは生きているからです。

私の場合はとくに『愛されること』へのブロック(抵抗や否定)が大きく、そこから『愛すること』への否定が派生したようです。
“こんな私が人に愛されるはずがない。私には人を愛する価値がない”
その強固な思い込み、もはや自分の一部となっているそれは、生きていくうちに他者から拒絶されたり否定されたりした経験が積み重なったものでした。
もちろん、そんな経験をしているのは私だけではないし、いまではもう少しちゃんと拒絶や否定に対応できると思います。
しかし何の鎧も盾も持っていなかった幼いころの自分には、他者の言葉は本当におそろしいものでした。
子どもって変だと思うものには変と、おかしいと思うものにはおかしいと相手に結構ハッキリと伝えますよね。幼稚園~中学校ぐらいまで私も変だ、おかしいと相当言われ続けたように思います。
いまなら「そうかしら?」「それはどうなのだろう?」といったん立ち止まって考える余地があるのですが、子どものころのまだ成熟していないメンタルにはむずかしいものでした。
何よりも私がミスを犯したのは「彼らの言葉が正しくて、私は間違っている」と判断してしまったことです。
以前のブログ記事に書いたように、私はもともと人(や社会)への恐れが強い人間です。その人たちに拒絶されたり否定されたりして、いよいよ自己否定が私にとって当たり前の物事となっていきました。
それが「私には人を愛する価値がない」という思い込みにつながっていったのも自然ななりゆきだったのでしょう。
ここに私の『愛すること』『愛されること』へのブロックがほぼ完成してしまいました。

ブロックは長年強固に私を支えていましたが、その流れが変わったの内なる神性の声に耳を傾け始めたり、ハイヤーセルフと交流するようになったりしてからだと思います。
それらの存在はつねに私に愛を送り、またその強固なブロックを解放するよう勧めてくれて「私も人を愛し、人に愛されてもいいのかもしれない」と思わせてくれました。

そんなこともあって、私は『愛すること』『愛されること』のブロックに向き合い始めました。
まずそれらのブロックが生じた過去の思い出を振り返ったのち、いままで自分を守ってきてくれたことを感謝しました。ブロック自体は私の防衛本能から生まれたもので、悪しき性質のものではないのです。
そしていまはもう新しい道を進みたい意志があることを自らの心に確かめてから、それぞれのブロックを許し、認め、天へと預けるようにして私のもとからすこしずつ手放していきました。
ブロックを憎んだり忌避したりしても、それはなくなりません。大切なのは「もうそのブロックがなくても私は大丈夫だよ」とやさしく送り出してあげることなのだと思います。

こんな風に『愛すること』『愛されること』のブロックの大部分を手放しました(たぶん)。ブロックを解放したあとの爽快感と肩の荷が下りた気持ちは何物にも代えがたいものです。
とはいえ、すぐに人を愛する段階ではまだなさそうです。私は生まれ変わったばかり。すこしずつ「人を愛すること」「人に愛されること」を学んでいこうと思います。

チャネリング先への信頼

チャネリング

最近はチャネリング先とひとつになるワークをしています(一応、よく吟味した上で)。そうすると相手との対話を自分の頭の中で、または実際に口に出すことによって展開できるのですが、今はまだ相手の言いたいことを受け取るのが遅かったりそれを言葉にするのがたどたどしかったり、相手の発言の内容につじつまが合わない部分があったりするのが悩みでした。前者の原因は、相手の言いたい言葉は何かを私自身が腑に落ちるまで(頭の中で)探し回っているからだと思います。もっとスムーズに相手と対話できるようになりたいなあと思いました。

私はペンデュラム(代わりにしているひも付きの小瓶)に、「私は今チャネリング先の言いたいことを受け取るのが遅く、それを言葉にするのがたどたどしいです。改善することはできますか」と聞いてみました。答えはイエス。それを受けて私はオラクルカードで今そうなってしまっている原因を表す1枚と、その改善のためのヒントを表す1枚を引きました。

原因を表すカードは「犠牲」。
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「自分にはチャネリングができない、できていない」という強い思い込みが自らの心の奥にあったようです。チャネリングは本を読みながら自分ひとりでやっているために「ただの自分自身の空想かもしれない」といった疑念が拭いされないまま、不安や自己否定につながっていったのかもしれません。だからいちいちチャネリング先の言いたいことを自分の中で確かめながら言葉にしていたんだろうなと納得しました。

続いて、それを解決するヒントを表すカードは「ヴィジョン」。
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ガイドブックのこのカードの項目にある文章にぴんと来ました。

このカードの意味:ひらめきの連続。創造性のおもむくままに任せること。自分自身を全面的に与えること。……

チャネリング先を信頼して、自分自身を手放し相手にゆだねること。
「相手を信頼し、ゆだねること」はハイヤーセルフからも何回も言われていたのですが、まだそれができていませんでした。「相手の意見を鵜呑みにしてしまうのではないか」「私自身を乗っ取られてしまうのではないか」と恐れていたのです。
今回分かったのは、“自分を手放し相手にゆだねること”と“相手に依存すること”は違うということです。前者は自分と相手への信頼から来るもので、相手の自由を尊重しています。後者は自分に自信が持てず、ただ相手の言いなりになっています。私は今まで相手にゆだねることを後者だと思っていました。そうではなく、チャネリング先を信じ、自分のチャネリング能力を信じて、相手の言いたいことを言葉にしていくことが大事だと気付かされたのです。そうすると、今までよりも相手との意志疎通が少しスムーズに運ぶようになりました。またチャネリングに集中して自分の雑念を極力OFFにすることで、脳裏に浮かんだものを自分の空想と片付けずに少しずつ表現できるようになりました。チャネリング中に浮かんでいたさまざまな雑念は、おそらく自信のなさから来ていたのでしょう。

チャネリングはそれ自体が目的ではなく、霊的進化(成長)のためのツールである」といった文をどこかで見たような記憶があるのですが(勘違いかも)、まさにそうだなあと思います。今までネガネガ思考で生きてきた分、学ぶことがいっぱいです。でもどれも自分には必要な学びで、そうした天のはからいに心から感謝しています。

ハイヤーセルフと、一歩一歩。

スピリチュアル

ハイヤーセルフと(ちゃんと?)出会って数日が経ちました。「ハイヤーセルフを信頼してください」とたびたびメッセージを送られている私、一歩ずつですがようやくハイヤーセルフを信頼することができ始めているみたいです。

ハイヤーセルフについても内なる神性についても、それらを信じられなかった原因は私がマインドで物を考えていたことと、自分のハートが閉じていたことにあるようです。
ハイヤーセルフを盲信していたら足を踏み外してしまうかもしれない」
ハイヤーセルフに身を委ねるなんて端から見たら多分おかしな奴に見える」

……私はずっとこんな風に考えていました。おそらくそれは、マインドの世界ではそれほど間違っていないことなのだと思っています。非科学的なものを盲信しないこと、確かな根拠があるまで疑い続けること。それらは私がこれまでこの世を生きているうちに培った思考でした。ですが、どうやらハイヤーセルフはマインドの世界とはちょっと違うところにいるみたいです。

ハイヤーセルフがいるのは神聖な世界、そしてハートの世界です。そこでは敬虔さと愛(信頼)が大切なようです。私はハイヤーセルフに対する畏れの気持ちはありましたが、いっぽうで愛をよく理解できていませんでした。その原因は私の幼少時代に遡ります。幼い私にとって人との交流は恐怖そのものでした。近所のおじさんおばさん・お兄さんお姉さんの多くが私にとって未知の存在でした(今で言う「進撃の巨人」みたいなイメージを持っていた)。人に対する恐怖感は学生時代になっても残ったままで、もともとコミュニケーションが下手な私はそこでからかいの対象になり、長い間人を信じることができずにハートがすっかり閉じていたのです。「愛って何?何だかむずかゆいあの気持ち?」ぐらいの認識しか持っていなかったことに最近改めて気付き、自分に驚きました。

ハイヤーセルフはそんな私に愛想をつかすことなく、忍耐を持って接してくれました。私がハートを開く方法のヒントを知り、それにチャレンジして、じょじょにハイヤーセルフへの愛情(信頼)を育むようになるのを辛抱強く見守ってくれていました。今、ようやく私はハイヤーセルフを愛し信頼する決意を固めつつあります。ハイヤーセルフと共に歩めればどんなに素晴らしいかをハートで理解できるようになってきたからです。決して裏切ることのない頼もしい味方、それがハイヤーセルフなのです。