愛すること・愛されることへのブロック

「私はチャネリングをやっていきたいな!」
とオラクルカードやハイヤーセルフにたずねてみたところ、
いずれも「その決断をするにはまだ早い」という答えが返ってきました。
“あなたはまだチャネリングについての満足な知識がない。そのような決断をするより先に、それ(チャネリング)をよく学ばなくてはならない。
何よりも、あなたはまず自分自身(ハイヤーセルフを含む)と対話し、それを理解する時期に差し掛かっている”
……ということを告げられました。

私は内心汗をかきました。
ここ最近、私自身の中にある巨大なブロックに向き合う必要を感じていたからです。
それは、
『愛すること』
『愛されること』
へのブロックです。
私だけではなく、いま同じ時を生きる人たちにとっても共通するブロックなのかもしれないな……と思います。それらを困難にするような時代に私たちは生きているからです。

私の場合はとくに『愛されること』へのブロック(抵抗や否定)が大きく、そこから『愛すること』への否定が派生したようです。
“こんな私が人に愛されるはずがない。私には人を愛する価値がない”
その強固な思い込み、もはや自分の一部となっているそれは、生きていくうちに他者から拒絶されたり否定されたりした経験が積み重なったものでした。
もちろん、そんな経験をしているのは私だけではないし、いまではもう少しちゃんと拒絶や否定に対応できると思います。
しかし何の鎧も盾も持っていなかった幼いころの自分には、他者の言葉は本当におそろしいものでした。
子どもって変だと思うものには変と、おかしいと思うものにはおかしいと相手に結構ハッキリと伝えますよね。幼稚園~中学校ぐらいまで私も変だ、おかしいと相当言われ続けたように思います。
いまなら「そうかしら?」「それはどうなのだろう?」といったん立ち止まって考える余地があるのですが、子どものころのまだ成熟していないメンタルにはむずかしいものでした。
何よりも私がミスを犯したのは「彼らの言葉が正しくて、私は間違っている」と判断してしまったことです。
以前のブログ記事に書いたように、私はもともと人(や社会)への恐れが強い人間です。その人たちに拒絶されたり否定されたりして、いよいよ自己否定が私にとって当たり前の物事となっていきました。
それが「私には人を愛する価値がない」という思い込みにつながっていったのも自然ななりゆきだったのでしょう。
ここに私の『愛すること』『愛されること』へのブロックがほぼ完成してしまいました。

ブロックは長年強固に私を支えていましたが、その流れが変わったの内なる神性の声に耳を傾け始めたり、ハイヤーセルフと交流するようになったりしてからだと思います。
それらの存在はつねに私に愛を送り、またその強固なブロックを解放するよう勧めてくれて「私も人を愛し、人に愛されてもいいのかもしれない」と思わせてくれました。

そんなこともあって、私は『愛すること』『愛されること』のブロックに向き合い始めました。
まずそれらのブロックが生じた過去の思い出を振り返ったのち、いままで自分を守ってきてくれたことを感謝しました。ブロック自体は私の防衛本能から生まれたもので、悪しき性質のものではないのです。
そしていまはもう新しい道を進みたい意志があることを自らの心に確かめてから、それぞれのブロックを許し、認め、天へと預けるようにして私のもとからすこしずつ手放していきました。
ブロックを憎んだり忌避したりしても、それはなくなりません。大切なのは「もうそのブロックがなくても私は大丈夫だよ」とやさしく送り出してあげることなのだと思います。

こんな風に『愛すること』『愛されること』のブロックの大部分を手放しました(たぶん)。ブロックを解放したあとの爽快感と肩の荷が下りた気持ちは何物にも代えがたいものです。
とはいえ、すぐに人を愛する段階ではまだなさそうです。私は生まれ変わったばかり。すこしずつ「人を愛すること」「人に愛されること」を学んでいこうと思います。